随想

二十年後に再会した音楽


小学校高学年の時、裕福な友達の家に行って「かの有名な月光の曲」を、電気蓄音器でSP盤を何枚も掛け替えて聞かせて貰ったことがある。またそのときに買ったばかりと言うステレオを聞かせて貰った。どんな演奏だったかは覚えていない。ただ、電蓄よりステレオの方が小さいのが不思議だ、という妙な印象だけ持った。電蓄が欲しいと言うような具体的な欲求にまではならなかった。多分、家の構えからして、とても裕福な友達の家庭のまねは、うちではできないと子供心に思ったのだろう。いま考えればいじらしいことだ。

中学2年生のときステレオが欲しいと、両親に訴えた。大学の附属中学校に通っていたので、友達には裕福な家庭が多く、両親とも音楽が好きで立派なステレオを持っているという話を聞いて、私は羨ましさを隠すのが精いっぱいだったものである。次第にステレオが普及し始めていて、父も買ってやろうという気になったらしい。中学校2年生の時、大阪日本橋に買いに行った。

午後から暗くなるまで、父と一緒に、私には初めての日本橋を歩き回った。たくさんの電気屋。闇市とはこんな感じだろうか、と思うようなトタン屋根の怪しげな店々。100円で買って貰ったヒータトランスは後々まで私の電気工作のヒントをくれたものだ。

薄暗くなり始めた店から店に歩き回っているとき、いくつかの店から同時に、まるでステレオを聴いているかのようにラジオから聴こえて来た音楽があった。その音楽は、ステレオ探しで高揚していた私に、記憶として長く留まった。

電車で帰って来て駅前のレコード店に初めて入り、父が店主に相談して一枚のドーナツ盤を買った。ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団演奏のシューベルトの未完成だった。2、3日してステレオが届いて、それからその1枚のレコードだけを毎日数回聴くという生活が始まった。夕食前の夕闇の中で美しい管楽器の和音が響く。夕闇の中の未完成の響きは、私の音楽の原風景だ。

それにしても日本橋で聴こえてきたあの曲は何だったのだろう、という疑問は長い間私の中に留まったままだった。ほんの一瞬聴いただけだから、どんな楽器だったかどんな演奏形態だったかも忘れている。あるときビートルズの楽譜を見せて貰って「ペニー・レイン」あるいは「ノルウェイの森」だったのかも知れないと思った。しかし何かが違う。何と言ってもクラシック曲だったように思える。こうして二十年が過ぎた。

疑問はあっけなく解けた。FMでエロルド(Louis-Joseph-Ferdinand Herold, 1791-1833, 正しくはエロール?)作曲のオペラ「ザンパ」の序曲(*)として流れた音楽の冒頭が、まさしく二十年探し続けた曲だったのだ。この曲の中間部なら何年も前から知っている(音楽番組のテーマ曲だったのだ)と悔しくも思った。好きな曲というのではない。いまだにオペラの筋も知らないし、CDも持っていない。そういうものかもしれない。ただ聞き入れられると思っていなかったステレオをボーナスで買ってやろう、と言った父が特別寛容に見えた冬の日、その風景と一瞬ステレオのように聴こえた音楽が切り離せないのだ。