随想

呼出し電話


小学校の頃は、電話と言えば家から200メートルほど先の煙草屋さんが走って来て、電話ですよ、と呼んだものだ。母は急いで飛び出して、煙草屋さんに駆けつける。これは昭和30年代ならごく普通の風景だった。

普段の連絡は大抵手紙だ。緊急の連絡はまずは電報で来る。その内容が電話をくれというものならば、公衆電話のある煙草屋さんに行って長距離電話の申し込みに行く。運が良ければ1時間ほどで煙草屋さんが電話がつながりましたよ、と母を呼びに来る。そこで、煙草屋さんの後を追って走って電話に出るのだ。

いや、当時でも裕福な家には電話があったかも知れない。しかし、高校生のときでも、まだクラスに数人は、クラス名簿の電話番号に「(呼)」という記号がつけられている家があった。

昭和50年頃でさえ、当時の電電公社の2大目標は、積滞解消と全国ダイヤル即時通話化だったように記憶している。つまり、「申し込めばすぐつく電話」と「ダイヤルでどこにでもかかる電話」がまだ実現できていなかったわけだ。ましてその20年前は、通話を申し込んで長距離回線の空きを待つ「待時通話」が当り前だった。手紙か電報のような一方的な通知では済まないような、緊急に打ち合せる必要があるような場合に、順番待ちをして使ったのだった。

こういう状況の中で、私には、電話はよほどの場合以外は使うものではない、遠い存在のように思われたらしい。いまもって電話は苦手だ。電話をかけなくちゃならない用件があっても、ぐずぐずしていてなかなか果たせない。妻にやって貰えるものなら大抵はやって貰う。電話の会社に勤めていたはずじゃないの、と言われるが、そんなことは無関係らしい。

いまは携帯電話。この年月の進歩は、単に進歩という言葉ではいい切れない、自分が生きて来た時間の長さの証拠を突き付けられているような、目まいに似た気持になる。ところが、若者たちに電話より E-mail がもてはやされていると聞くと、妙に共感を覚えたりするのだ。