随想

もう一つの再会した音楽


確か1979年の年末から翌年の正月にかけてだったと思う。同期入社の独身の仲間が誘いあってヨーロッパ旅行に出かけた。

普通のヨーロッパ観光旅行は70〜80万円はする時代だった。半年の給料を注ぎ込む計算で、贅沢な新婚旅行向けだ。あまり行きたいとも思わなかったのが正直なところだった。いまから考えても、なぜ外国旅行にあまり関心が無かったのかはよくわからない。多分、高峰の花と思っていたのだろう。旅行は、毎年の夏の山登りを計画から実行まで一年掛けて楽しんでいたように思う。

その頃、ヨーロッパでスキーを企画する旅行会社があった。無論大変贅沢な話だが、対象者はスキー好きの若者ということになるから、観光地巡りは含まれず言わば一箇所滞在型で、50 万円を切る価格を提示した。同期入社の、やや高齢独身者になっていた仲間たちには、給料三ヵ月分とは言え、無理な額ではない。スキーの上級者が多く、それまでも夏山やスキーには連れだって行った仲間達だ。正月休み期間を利用して11日間の旅行と言うのも、なかなか休みが取りづらい時代に合っていた。

そのスキー旅行先が、スイスのグリンデルヴァルト(Grindelwald)だった。シャレー風の作りのホテルに滞在し、登山電車でユングフラウの山麓のスキー場を回った。まだ日本人が多くなかったこともあり、裕福な人々のリゾート地ということもあったのだろう、人々と気軽に話(英語)ができて楽しかった。(何と、子供とはドイツ語で話したものだ。)

大晦日の日、グリンデルヴァルトの街を散歩していた我々は、街外れの教会に入った。合唱の練習をしていた。聞けば、大晦日の夜(Sylvester)のコンサートのリハーサルをしているという。我々はホテルでのシルベスターのパーティのために帰らねばならなかったが、その時の音楽が忘れられなかった。演奏レベルが高いと言うのではない。自分の日常の言語(ドイツ語)で、田舎の(?)村の教会の良く響く空間で歌う宗教音楽は、合唱を長く続けていた私に取って、日本で聴くどれとも違う、本物のヨーロッパの伝統の宗教音楽を聴いたように思った。

帰国後、教会に宛てて、あのときの音楽は何だったのかと尋ねる手紙を書いた。一ヵ月ほどして牧師さんからドイツ語で返答が来て、音楽会のプログラムが同封してあったが、第一日付が違う。曲名に挙がっていたバッハのカンタータ2番は、聴いた曲の印象とは違う。他の曲は作曲家の作風からして当てはまらない。

幸い、仲間の一人がリハーサルの一部をビデオに撮っていた。当時のポータブルビデオは、現代のビデオデッキほどの大きさで、遥かに重く、リュックサックをまるまる占有し、テレビカメラは両手で支えなければ持てないような代物だった。βマックス方式のホームビデオシステムが世に出たばかりの頃に、新技術マニアの友人が買って、その時の旅行に持って行ったものだった。とにかく、それから音楽をダビングして貰った。録音されている箇所の歌詞を聴くと "Ich lasse dich nicht" を何度も形を変えて繰り返すのが聞き取れる。それを頼りに、バッハのカンタータを始め、調べられる範囲でかなり調べたが、どうしても見付からない。

その答えは、LPレコードがCDに変わり、βマックス方式が8mm方式に変わってからもたらされた。バッハの音楽の源流に興味を持った私が、いろいろなCDを集めているときに、バッハ一族の音楽と題するCDに、永年探していた音楽があったのだ。ヨハン・クリストフ・バッハ作の「私はあなたを離さない(Ich lasse dich nicht)」だった。

ヨハン・クリストフ・バッハは、J. S. バッハの叔父で、J. S. バッハ以前のバッハ一族で最も優れた作曲家と言われ、J. S. バッハが尊敬していた人だ。J. S. バッハが楽譜のコピーを持っていて、それを通して現代に知られていた作曲家だ、という程度の知識は持っていた。

実は、この話には続きがある。昨日買ったCDに同じ曲が入っていて、そのペーター・ヴァルニーの解説によると、最近の研究で、この作品はどうやら J. S. バッハの1712-1713 年頃の作らしいと言うのだ。その根拠は、17世紀のモテットには珍しいへ短調であること、最後の辺りに現れるナポリ和音、その他のスタイルの問題らしい。残されているモテット6曲と部分的に似ているところはある。しかし、20 代後半のバッハにしてはかなり古風な曲という印象がある。何か長大なモテットの終曲だったのかも知れない。それより、パッヘルベルやヨハン・クリストフ・バッハの作風に共通するものを感じる。J. S. バッハは、ブクステフーデなどの北ドイツ楽派の影響を受けて以来、この作風に入り切らない部分が多いように思われる。

真相は分からない。しかし、この中部ドイツの素朴さと清澄さを湛えた中期バロックのスタイルの二重合唱曲は、私の最も好きな合唱曲であることは変わりがない。これは、グリンデルヴァルトでの雪の中の教会の風景を私の記憶から取り去っても変わらないと思う。
(25 Mar 2002)