随想

日本語と英語


日本語と英語は、まったく違う言語だ。音素の種類も、アクセントの付け方も(つまり、日本語はピッチアクセント、英語はストレスアクセント)、語彙も、構文も、何から何まで異なる言語であると言う方が早いだろう。 しかし、歴史的に見ると結構似た状況に置かれているような気がする。日本語は、トルコからトルキスタン、モンゴル、満州、朝鮮半島、日本と弧を描いて分布するウラル・アルタイ系と言われて来た。そのような本来の大和言葉に、中国から漢字や漢語を大量に輸入した。その結果、いまでは日常のことでも大和言葉だけで表現するのは不可能に近くなっている。

英語もこの点で似ている。本来のゲルマン語に、ノルマン征服以来、フランス語が定着して、日常会話ですらゲルマン語だけではできないほどになっている。私自身、中学校で最初に習う "very" がラテン語の verus (真の) に関係する語であって英語の本来の語彙にはなかったと知って驚いたことがある。確かに、"very" を「とても」とだけ理解していると、"verify" という語の意味は覚えにくい。むしろ "very" を「まことに」と訳せば、"verify"は「まことたらしめる」というように自然につながる。

日本語の場合の大和言葉と中国伝来の語の使い分けの境界は、それぞれ同意語対ごとに異なる。たとえば、「とても」と「非常に」の境界はかなり日常語寄りのところにあるようだ。一方、「思う」と「思唯する」との使い分け境界は、かなり硬い文寄りにあるだろう。

同じことが英語でも言えるだろう。

このことが英語の真の難しさなのだと思う。歴史的に長らく語彙を外国語から借用する必要がなかったフランス語や、意識的に自国語(の合成語)に置き換えたドイツ語などは、以上のようなことが少ないので、文法の勉強自体は面倒でも、いずれは習得できるのではないか。 それに対して、英語はいつまで経っても、真に文体や調子が整った文を書くことはなかなかできないのではないか。ちょうど、文体が統一された日本語を用途・場面に応じて書き分けることは、大学生でも大変難しいように。 昔聞いた話だが、フランス語は3年、ドイツ語は5年習えばできるようになるが、英語は一生掛かってもできるようにならない、と。ちょっと大げさな感じがするが、本当かも知れない。

私がいつまで経っても英語が上達しない真の理由は、以上の点にあると言えば、スマートな言い訳になるだろうか。